June 01, 2011
「スギヤマスタイル」から「SugiyamaStyle」へバトンタッチ
![]() | みなさまにお知らせ。livedoor社がブログサービス開始以来、「スギヤマスタイル」として、ブログを展開してきた。 ブログがブームになった当初は、「TrackBack」を頑張ったこと、ちょっとした発言が切欠で、批判的なコメントが大量に寄せられ、これが「炎上」という言葉になったり、今は昔という感じだ。「スギヤマスタイル」は炎上するほど人気ではなかったけどね(笑)。 ぼくは、ブログ前にも、デジタルハリウッド社内で、毎日、日記という形で、テキストと写真をアップしてきた。 実は、「スギヤマスタイル」で使っている写真には、連番を付けており、この数字をみると、なんと、3559回更新してきたことになる。毎年、夏のSIGGRAPHでは、一日に3回更新することも多かったけれど、基本、一日一本。つまり、ほぼ10年、毎日やってきたわけだ。我ながら、良く続いたという気もするね。 5月25日のブログにも書いたが、この「スギヤマスタイル」独自のフォーマットを使っていることや、写真をひとつづつ加工していること、まとめて更新する方法をとっていることから、ここ2年ほど、更新が1週間近く遅れる状況が、しばしばあった。 これは、一重に、ぼくのスケジュールが詰まってしまっていて、なかなか更新作業が出来ていないという問題、さらに本学が、昨年度からfacebookでのコミュニケーションを学内でも推し進めていることで、そちらに時間が取られているということが大きい。 最後の写真は、川井拓也先生が、ズミクロンという名レンズで撮影してくれた僕のポートレート。そして、写真をクリックすると、今年度の専門スクールのポスターの素材写真。この写真には、『最新型のジブンになる』というキャッチフレーズが付いている。ということで、「スギヤマスタイル」も新型になるのだ。 ブログ「スギヤマスタイル」は、 Facebookページ「SugiyamaStyle」へ移行! またFacebookは、5月30日のブログでも書いたが、使い込みが進むと、ソーシャルな交流だけでなく、つぶやき、チャット、メール、写真アルバム、コンテンツ共有、さらにブログのようにも使え、ぼくにとっては、まさにワンストップサービスといえるものとなった。 いくつものツールを使い分けてきたものを、ひとつのサイトへのアクセスで出来るのは、やはり便利だ。それだけでなく、facebookページというfacebookユーザーじゃない方々にも閲覧できる場を設定できる。 個人ユーザーのfacebookは、google検索から除外されているのだが、Facebookページは、検索対象となっている。そんな状況から、このブログ「スギヤマスタイル」を一旦休止して、Facebookページを「SugiyamaStyle」という名前で設定し、もっとリアルタイムに近い形で、どんどん更新するスタイルに移行することに、5月30日に決断。 もしかして、また、このブログに戻ってくることがあるかもしれないけれど、まずは、このブログを読んでくれてきた皆様に、心より感謝!! 以下、URL。ぜひブックマークを! https://www.facebook.com/SugiyamaStyle 引き続き、Facebookページの「SugiyamaStyle」をよろしく! 「いいね!」もクリックもよろしく。 デジタルハリウッド大学・学長 杉山知之 |
May 31, 2011
「AMD Award授賞式典」に出席
![]() | 朝、秋葉原メインキャンパスに寄って、学生たちの様子を見てから、セカンドキャンパスへ。 12時前に「Bengal」へ行って、いつものとおり野菜カレーを辛くして食べる。 12時半から、オフィスで学長室ミーティング。メンバーは、小倉先生、栗谷先生、高橋先生、いつものようにここ2週間の報告をしてから、昨年度の振り返りから今年度の活動について、それぞれの先生と話をしたのであった。 学長室の先生たちのブログ「Digital Stream」、そちらもよろしくね! 4時、信濃町の明治記念館へ。今日は、デジタルメディア協会の第16回AMD Award授賞式典なのだ。 ぼくが毎年楽しみにしているのは、リージョナル賞。これは地域活性化に役立つコンテンツが選ばれる。今年は、青森県企画政策部広報広聴課の職員3人でカメラを回して編集してアップしている「あおもり映像コンテンツ・プロモーション事業」が受賞。 「青森映像素材ライブラリー」としてYouTubeにアップされている。権利関係がクリアで、ほとんどがフリー素材、かつ映像クオリティが良いということで選ばれたとのこと。学生たちにも、ぜひ使ってもらいたいとのことだった。 今年の優秀賞9作品が発表された後、最後に大賞/総務大臣賞の発表。それは「AKB48コンセプト」、秋元康さんが受賞したのだった。AMDの過去の受賞作品から考えると、ちょっと異色とは言え、確かに昨年度は、まさにAKBが一般に大ブレイクした年だったことは間違いないね。 受賞式典が終わり、マスコミ用のフォトセッション。受賞したほとんどの方が知り合いということで、ぼくはど真ん中から、皆さんを撮影させてもらったのであった(写真Click!)。 そして、隣のバンケットルームに移って記念のパーティ。さっそく秋元康さんの前には長蛇の列が出来ていた。東大の河口洋一郎先生が、秋元さんの親友とのことで、ぼくに秋元さんを紹介してくれたのだった(写真)。 8時過ぎにパーティが終わり、信濃町から一度、秋葉原セカンドキャンパスのオフィスに戻って、ちょっと仕事をして、10時半、本日終了としたのであった。 |
May 30, 2011
『Creative Connection Tokyo』のキックオフミーティング
![]() | 朝、起きて、さっそくMacBookを開けて、Facebookへ。最近、たくさんの方々から「友達」のリクエストをいただくのだが、必ずその方のウォールを読んだり、経歴を読ませていただいたりしてから、承認をしているので、ちょっとその作業が間に合わなくなってきた。 これは、一重にぼくが、「友達」にラベルを付けて、交流がしやすいようにしているためで、選別をしているのではない。ただ、たまに名前以外、隠れていて、さらに共通の友人もいない方からリクエストがある。こういう場合は、とりあえず保留となっている。 Facebookをかなり使い込み初めて、ソーシャルな交流だけでなく、つぶやき、チャット、メール、写真アルバム、コンテンツ共有、さらにブログのようにも使え、ぼくにとっては、ワンストップサービスという感覚。 いくつものツールを使い分けてきたものを、ひとつのサイトへのアクセスで出来るのは、やはり便利だ。 国民の半分がユーザーというアメリカでは、ちょっとソーシャルが行き過ぎて、出会い系のような使われ方が目立つとのこと。ということでビジネスライクに交流を求めている人達は、Likedinを使っているとのこと。 先ごろ、IPOして大成功という数字になったLinkedinだけど、日本では、Linkedinの認知は極めて低いね。facebookも、日本では、アーリーアダプターの方々の場という感じだが、ぼくにとっては使いやすいので、しばらく嵌ることにした。 午後2時、明治大学和泉校舎へ。例のごとくメディア錬の講師室で仕事開始。4時20分、303教室で、「クリエータービジネス論」の講義。今日の内容は、デザイナーとアーティストの違いについて。あまり区別せずに使われることも多い言葉だけど、ビジネスという側面からは、大きな違いもあるよね。 午後5時50分に終了。そのまま秋葉原メインキャンパスあるダイビルへ。今日は、ここの5階で、本学が関東経済産業局からの委託事業として今年度行う『Creative Connection Tokyo』のキックオフミーティングがあるのだ。 この事業、簡単にいえば、仕事のチャンスを求めている若い才能と、新しいアイデアを求めている企業を結びつける場を作ろうというもの。昔からある話だけど、いつの世にも必要な事業だね。 ぼくが到着したとき、まさに開始する寸前。大勢の業界人の方々が詰めかけていた。最初に、関東経済産業局地域経済部情報政策課の小澤元樹さん(写真)が挨拶。 ぼくも、「アジアのクリエイティブ産業」という題名で、ミニ講演。また今回の事業について、本学の荻野教授、吉田教授らが説明を行ったのであった。 その後、7時半から懇親会。まずは皆で乾杯(写真Click!)。いろいろな方々と挨拶して交流。 この『Creative Connection Tokyo』で行う事業、楽しみだ。 9時、メインキャンパスへ上がって、しばしスタッフたちと打ち合わせ。そして本日終了とした。 |
May 29, 2011
大阪校で「デジタルメディア概論」の講義
May 28, 2011
福岡校で「デジタルメディア概論」の講義
May 27, 2011
特許庁の官僚の方々が本学を視察
May 26, 2011
夜、大学院「デジタルコミュニケーション原論」の講義
May 25, 2011
大学で「デジタルコミュニケーション論」の講義
May 24, 2011
東京本校で「デジタルメディア概論」の講義。
May 23, 2011
和泉校舎でゲスト講師を招いて講義、夜は紀里谷和明監督のセミナー
![]() | 午前10時、いつものように高円寺駅前の上島珈琲店で、MacBookを広げて仕事開始。 さすがにここだとWiMaxの電波が安定して入るので、高円寺だと、ここでノマドワーキングすることが、ほとんど。 2時間ほど仕事した後、明治大学和泉校舎へ移動。メディア棟の講師室へ。 午後3時半、ゲスト講師として、毎年お願いしている櫻井孝昌さんが、さらにゲストを連れてやってきた。 一人は、北京で育ち、日本のアニメ声優に成ることを決意して、日本語の猛勉強をして、つい最近、青二プロ所属となった劉セイラさん。 もう一人は、世界のアニメファンに絶大な人気で、海外でのコンサートは、どこでも数千人が押し寄せるというアンカフェのドラマー輝喜さん。 櫻井さんも先週、「ゴロウ・デラックス」に丸々出演していた。Cool Japanを語るには、最適の濃いゲストたちだ(写真Click!)。 講義は、4時20分から90分、明治大学の学生たちは、日本のアニメとファッションが、想像以上に世界各国の若者たちに熱烈に支持されていることを、写真や映像で目の当たりにして、かなり衝撃があったようだ。 講義の最後、セイラさんも輝喜さんも、学生たちの前でしゃべってくれた。うれしいね。講義後、輝紀さんもセイラさんも、学生たちに囲まれていたのだが、ぼくは後は櫻井さんに任せて、すぐに御茶ノ水へ向かった。 6時40分、東京本校に到着。今晩、いっしょに講演を見る現在、ハリウッドで映画タイトル制作のアートディレクターをやっている宇治悦子さんと合流。 ちょうど到着した紀里谷和明監督(写真)に、いっしょに挨拶をした。紀里谷さんは、もう10年もいろいろな学校で、ボランティアで講演をしてきているとのこと。表現者を目指す若者に熱い気持ちがあるのだろう。 「デジハリには、もっと前に来ていても、おかしくなかったのにね」と紀里谷監督。確かに監督の下で働いたCGクリエーターの中に、多くの卒業生がいるので、遠い関係ではなかったはずなのだ。 午後7時から、8時45分までの講演が始まる。流れは、その場での学生の質問が切欠で、紀里谷監督の怒涛のトークが炸裂する。 「恐怖」が本物の表現者になることを阻害するという話は、とても心に響いた。今日の講演で、覚悟を決めた参加者が多かったのではないだろうか? 現在、紀里谷監督は、ハリウッドで有名な事務所に所属し、多くの脚本を読み、多くのプロデューサーに会う日々。そのようにして世界配給となる映画の監督に指名されることを目指している監督たちは、これもたくさんいるとのこと。ハイレベルな競争の中でも、紀里谷監督なら、チャンスを掴むだろう。 また、2ヶ月後には、日本でも新たな試みをネットを中心に展開するとのこと。それも楽しみだ。 紀里谷監督の燃える心に刺激を受けたまま、宇治さんといっしょに夕食。今や仕事が、メジャータイトルばかりとなっている宇治さんも、紀里谷監督の話には、心を動かされたようだった。 ちなみに彼女の最近の仕事は、現在上映中の「Pirates of the Caribbean: On Stranger Tides」のロゴデザインだったりする。こういう卒業生がいるのは、もちろん誇りだね。 |
May 22, 2011
Startup Weekend Tokyoの最終プレゼンの審査員をやった
![]() | さすがに1週間、非常に忙しかったので、午前中は、ゴロゴロしていた。 午後、古い車の修理で、日本堤のARD小柳さんのところに車を転がしていく。オルターネーターが、ほぼダメになっている感じで、バッテリーが上がってしまうのだ。なんとかバッテリーを充電して、日本堤まで行くことができた。 その帰り、恵比寿のデジタルガレージへ向かう。今日は、ここのオープンネットワークラボで、この3日間行われている「Startup Weekend」の最終プレゼンの審査員をやらせてもらうのだ。 「Startup Weekend」は金曜日からの3日間で、ビジネスプランを作るというもので、良いものが出来たら、そのままスタートまで行こうということで、この名前が付いている。 金曜日、初めて顔を合わせた人たちが、チームメイキングからやって、企画をまとめて行くというというプロセス自体が、意味があるものだと思う。今回は、過去最大の13チームが作られた。 参加者たちが、凄い熱気で、最後のプレゼンの練習をしている状況の中に、ぼくは到着したのだった(写真Click!)。 午後5時から、プレゼンが始まる。参加者たちの多くが、ICT系の若いビジネスマン、そして日本で働くIT系外国人たち。プログラミングやデザインスキルが高い人も多いので、プレゼンといっても半完成品ぐらいまで仕上げて、実機でプレゼンするグループもある。これもエキサイティングだ。 最後に、参加者全員の投票による各賞の決定が終わった後、審査員の投票が加わり、最優秀賞が決定。 このイベント「Startup Weekend Tokyo」の主催者は、Jonny Liくん(写真)。自分でもチームに参加して、なおかつ運営もして、大した人だ。 夜9時過ぎに高円寺駅に着く、そのままLa Cocina del Cuatroへ行く。仁さんに、「夕食食べてないんだ」というだけで、量も調整して、美味しいものを食べさせてくれる。お客さんたちと、ワイワイとしゃべりながら夜が更けたのだった。 |
May 21, 2011
TEDxTokyo 2011に参加
![]() | 朝7時に家を出て、お台場の日本科学未来館へ向かう。 未来館は、震災で天井が落ちたということで、現在、改修工事中で閉館しているのだが、今日は、TEDxTokyo 2011のために、ホールなどの使用部分を開けてくれたとのこと。素晴らしいね配慮だ。 午前8時、TEDxTokyo 2011の受付に着く。共同設立者の一人Todd Porteさんが、にこやかに迎えてくれる。 すでに多くの外国人の方々が着ていて、さっそくコーヒーや軽食を食べながら、自己紹介などが始まる。 午前9時、7階「みらいCANホール」に参加者が着席。いつものように共同設立者のPatrick Newellさんの軽妙なオープニングトークで、TEDxTokyoが始まる。 今年は、すべてのセッションがUSTREAMで全世界に中継されるのだが、生でTEDにいると、参加しているパワフルなオーディエンスたちが醸しだす雰囲気が格別なのだ(写真Click!)。 TEDxTokyoは、実際に見た人たちじゃないと、どんなイベントが説明しにくいところがある。簡単に言えば、様々な分野の様々な立場から選ばれたスピーカーが、次々と現れてプレゼン。それを丸1日、とにかく味わうのだ。脳の中に嵐が起きるような感じにもなる。 今年で3回目のTEDxTokyoは、最初から「みらいCANホール」がメイン会場なのだが、まさにうってつけの会場とロケーションだと思う。 ランチタイムは、たっぷり2時間とってあり、皆で外に出て、ちょっと歩いて埠頭まで行くのだ。そこにテントがあって弁当が配れている。天気のよい中、皆でワイワイと弁当をつまみながら、紹介しあったり、ディスカッションしたりという時間になるのだ。 この時間、回りを人が囲んでお忙しの方が見えた。MIT Media Lab副所長の石井裕教授(写真)だ。人と人が繋がって、アイデアとアイデアが交換され、それがアクションに繋がっていくのが目の前で感じられる。まさにこれがTEDだね。 午後も、素晴らしいプレゼンが続いた。スピーカーが持つそれぞれの世界観が、目の前に広がっていき、引き込まれるような感覚。 夕方、すべてのプレゼンが終わり、全員で、船の科学館へ移動して、東京湾の夜景を見ながら懇親パーティ。 なんとNHKあさイチでもお馴染みのイタリアンシェフのマリオ・フリットリさん自らが来てサーブしてくれていた。美味しいイタリアンとワイン、参加者たちは、どんどん饒舌になっていく。 ということで、特別な1日を過ごせたのであった。 |
May 20, 2011
東京本校で「デジタルメディア概論」の講義準備
May 19, 2011
モバイル広告大賞の審査会
May 18, 2011
いつもの大学になってきた
May 17, 2011
福岡コンテンツ産業振興会議第1回企画運営委員会
![]() | 朝8時半に高円寺を出て、羽田空港へ向かう。 10時半のフライトで、福岡へ。離陸が混んでいて、出発が遅れ、さらに強風のせいかフライト時間も長くなり、福岡空港のターミナルに着いたのは12時半だった。 さっそく地下鉄に飛び乗り、博多駅のホームに降りて、まず感じたのは、「明るい」ということだ。すっかり東京の節電モードの薄暗さに慣れていたわけだ。 12時50分、博多駅から数分の「福岡県Ruby・コンテンツ産業振興センター」の中に居た。空港と街の中心部がここまで近い福岡は、確かに便利だ。 午後1時から、福岡コンテンツ産業振興会議の第1回企画運営委員会。今年も引き続き、ぼくが会長をやらせてもらっている。 福岡県が県として、企画中のコンテンツ産業振興策について、ひとつひとつ説明をしてもらい、それについて地元の有数なコンテンツ関連企業からの委員たちが、質問や要望をしていく(写真Click!)。 当然ながら、企業側からは、実質的に効力が期待できるアイデアが述べられる。今日の2時間半あまりの会議で出た意見が反映されて、県の企画がまとまることになる。 こういう仕組みで、福岡県は10年以上に渡り、コンテンツ産業振興を行っている。福岡のコンテンツ産業の業績を見れば、県の企業の協力体制がプラスに働いていることは明らかだ。 また、1999年、渋谷で「ビットバレー」のムーブメントが起きたことに呼応して、全国で同じような動きが起こった。もちろん福岡でも大名地区を中心にした「D2K」が出現した。その後、数年で、すべての動きが消滅した中、ここでは、その「D2K」が、現在も続いているのだ。 その中心人物として、ICT系ベンチャー企業をつなげているのが、ペンシル社の覚田義明社長(写真)だ。デジタルハリウッド福岡校を開校してから、ずっとお世話になっていて、こうしていっしょに仕事ができることもうれしいことだ。 会議が終わり、福岡県がベンチャーインキュベーション施設として昨年開設した「福岡県Ruby・コンテンツ産業振興センター」の中を案内してもらう。とくに、ここでは通常の事業所の中に作りにくい録音スタジオを設けて貸し出している。確かにコンテンツ制作会社が、気軽に使えるこのような施設があることは、とても良いことだね。 福岡空港で、1時間ほどMacBookを広げて仕事をして、予定通り午後5時半のフライトで羽田へ。またも出発が遅れて、羽田に着いたのは8時近く。そのまま高円寺に戻って、本日終了。 |
May 16, 2011
和泉キャンパスで、「クリエータービジネス論」の講義
May 15, 2011
オープンキャンパス、デザフェス、本科懇親会
May 13, 2011
知的財産戦略推進本部コンテンツ強化専門調査会
May 11, 2011
松田圭太監督の最新作『RONNIN POP』メイキングセミナー
![]() | 午前中から、セカンドキャンパスの学長室でKeynote制作。昨晩作った映像ファイルを貼りつけ、大学院の講義の準備をする。 午後4時にメインキャンパスへ移動して、4時20分から「デジタルコミュニケーション論」の講義。170人が受講。5時50分に終了。みんな集中して聴いてくれた。 その後、御茶ノ水の東京本校に移動。午後7時から、デジタルハリウッド出身で、現在、映画監督としての活動が注目され始めている松田圭太監督のセミナーに参加。 今回の作品は、『RONNIN POP』、主演は、韓国で人気の男性9人組のZE:A(ゼア)。ということで、ロケはすべて韓国で行われたのだそうだ。 松田圭太監督の強みは、自身の「ライスフィールド」というVFXスタジオを持っているところだ。普段は大手メーカーのCMやテレビ番組のオープニングなどを手掛ける制作スタジオ。そこで鍛えられている実写合成の技術が、『RONNIN POP』に生きている。 今日は、メイキングセミナーということで、松田監督自身が、種明かし用に作った映像で説明してくれた。とても分かりやすかった。グリーンバック撮影のワイヤーアクションが、CGと合成されて、ファンタスティックな戦闘シーンになっていた。 ちょうどZE:A(ゼア)が、日本で人気が出始めているとのこと。ぜひ、多くのZE:Aファンにも見ていただきたい映画だ。 午後9時にセミナーが終了して、ギャラリーで松田監督(写真)と歓談。その後、そのままギャラリーのテーブルで仕事を続けて、午後11時に終了とした。 |
May 10, 2011
AR三兄弟の二男さんがやってきた日
May 09, 2011
和泉校舎で「クリエータービジネス論」の講義
![]() | 朝10時に、昨晩に引き続き、ふたたび西五反田の桐ヶ谷斎場へ。今日は告別式。故人の冥福を祈って、お棺を見送ったのだった。本当に残念だ。 12時過ぎ、一度、高円寺に戻り、支度をして明治大学和泉校舎へ。和泉校舎は自転車通学の学生も多いようで、駐輪場はパンク状態だ(写真Click!)。 最近、東京のビジネスマンたちも、自転車通勤をする人たちが増えている。エコという観点から、ブームになってきて、自転車関連の月刊誌も多く発行されている。 大震災の当日、帰宅困難となり、途中で自転車を購入した人も多かったとのこと。また家族を出迎えようとした自家用車が、都内で朝方まで大渋滞になってしまったことなど、都内における自転車の有用性は、ますます高まったと感じる。 しかし、車を運転する側からみて、最近、あまりにも危険な自転車の運転をしている人が多く、閉口する。信号無視、無灯火、車道逆走の3つだけは、ぜひ守っていただきたいと思うのだ。 夜、家に戻ってからも、ずっと講義用のKeynote作り。10時過ぎ、家でやっているのも飽きて、仲通りのFREE BarDへ。いつものようにオーナーバーテンダーのマークくんと、ひとしきりおしゃべり。 ここのカウンターはとても落ち着くのだ。今日は、ベルギーのホワイトビールVEDETTを飲む(写真)。酵母とよく混ぜるということで、マークくんが、ボトルを回しながら注いでくれた。アルコール度が4.7%なので、仕事しながら、ちょうど良かった。 2時間ほど、FREE BarDに居て、本日終了。 |
May 07, 2011
自由の森学園の保護者会に参加
![]() | 朝9時に家を出て、高円寺からバスで西武池袋線の練馬駅へ。そこから飯能駅へ。さらにスクールバス(写真)で15分ほどで、息子が通う自由の森学園に到着。今日は保護者会なのだ。 高円寺から毎日通うという意味では、本当に遠いという感じだが、来てしまえば、山の麓の高台にある環境は、絵に書いたようなキャンパスで、とても素晴らしい(写真Click!)。 この学校の教育は、ちょっと変人の息子に合っているようで、距離をものともせず通っている。いつも話を聴くにつけ、どこか校風がデジタルハリウッド大学と通じるところ感じる。 体育館で校長先生の話を聴く。少子化のため中学生の募集を苦労している話や埼玉県の授業料無償化の見直しなども話題になる。このオープンさが良いね。 校長先生も自ら林業という実習もある講座を持っている。去年、息子もとったのだが、とても良い経験をしたようだった。高円寺いたら想像もできない講座だ。 この学校は、卒業生の保護者たちも学校に関わっている人が多い。そのひとつが学食だ。学食は食生活部として、元保護者たちが運営し、安全な食材で、さらに無化調の工夫したメニューを揃えている。 ぼくもスパイスからアレンジしているカレーを食べた。子供用なので辛くないのだが味は美味しかった。さすがにインドでの家庭料理の取材から学んだものというだけのことはある。 事実、このことは、『日本で一番まっとうな学食』という本になって出版されている。 昼食後、地域ごとの保護者会に出た後、ぼくは、ふたたびスクールバスで飯能駅へ向かい、夕方、高円寺に戻った。 妻は、クラス保護者会、学年保護者会に出て、さらに飯能駅の近くで行われた教員と保護者の懇親会に息子と出て、カラオケをして夜中に帰ってきたのだった。 |
May 06, 2011
入学式とデジタルフロンティア
May 04, 2011
「オリンパスホール八王子」のオープニングコンサート
![]() | 朝、国立の母親の家へ行く。買い物リストをもらって、いろいろ買出し。 午後1時過ぎ、国立駅へ出てJRで八王子駅へ。駅の南側に出来たサザンスカイタワー八王子4階の「オリンパスホール八王子」へ。 「オリンパスホール八王子」は、八王子市の音楽ホール。2000人クラスの多目的ホールをいろいろな催し物に対応できるようにするには、高度な建築音響設計が必要となる。担当したのは、世界的な建築音響設計事務所である永田音響設計の小野朗さん。小野さんは、ぼくの大学院時代の木村研究室での後輩。ちょっと誇りに思う! その「オリンパスホール八王子」、今日が、約1ヶ月遅れのオープニングコンサート。大震災を受けて、コンサートは「オリンパスホール八王子開館・東日本大震災被災地支援コンサート」という名前に変更になった。 このホールのエクゼクティブプロデューサーに就任した指揮者西本智実さんは、オープニングに八王子の学生に参加してもらいたいという気持ちと、新しい試みをされたいということがあり、組曲「展覧会の絵」の演奏とCGアニメーション映像のコラボレーションを企画。 八王子に制作スタジオを持つデジタルハリウッドが、OJTとして、組曲を構成するそれぞれ楽曲にCGアニメーションを作るという、まあプロがやってもたいへんなプロジェクトをやらせてもらうことになったのだ。 午後2時、ホールの2階席へ。とても品がある雰囲気を持つホール内。目をステージに向ければ、オーケストラのセッティングの背後に、普通なら設置されない大きなスクリーンがあった(写真Click!)。 黒須隆一八王子市長の挨拶の後、オープニングコンサートが始まった。「展覧会の絵」の演奏終了後、OJTに参加したデジタルハリウッドの学生、受講生、講師がステージに呼ばれて、西本さんの合図で挨拶。 プロジェクトチームの半分以上が、プロジェクト開始時は、CGを習い始めて3ヶ月程度だった。まさにこのプロジェクトによって彼らも大きく成長したと言える。学校として、こんなプロジェクトに参加できて本当に光栄だと思った。 午後4時過ぎ、楽屋へ行き、ロビーで募金活動を行っている西本さんを待つ。しばらくして、着替えた西本さんが出てきてくれた(写真)。ステージでの西本さんは、まさに男装の麗人という感じなのだが、素顔の西本さんは、チャーミングな大阪弁で話す気さくな方なのだ。 西本さんは、今回のCGとのコラボに、いろいろな可能性を感じたとのことで、次のプロジェクトでも、何かいっしょにやりたいと言っていただいた。有り難いね。 午後5時過ぎ、再度、母親の家に行き、しばらく話をして、高円寺に戻ったのであった。 |
May 02, 2011
明治大学国際日本学部で講義開始
April 29, 2011
Digital Frontier 2011のリハーサル
![]() | 今日からゴールデンウィークということだけど、大震災があって、大学のすべての予定がずれているので、まさに意識できないうちに、4月末になってしまったという感じだ。 午前中は、家でずっとfacebookにかじりつく。今年、大学1年生が全員受ける「アクティブラーニング」や担任が付くホームルームで、facebook利用を進めているため、1年生から、ぞくぞくと「友達」申請が飛んでくる。とくに留学生たちの反応は早い。 午後1時、ちょっと遅めのブランチ。自分でパスタを作る。今日は、ツナとアンチョビのパスタ。けっこう美味しかった。 午後3時半、高円寺を出て、御茶ノ水の東京本校へ向かう。 4時過ぎに到着して、5時から1階セミナールームで、デジタルハリウッドの優秀作品発表会「デジタルフロンティア2011」のリハーサル。 「デジタルフロンティア2011」すでに多くのお申し込みをいただいているが、父兄の方々については、まだご参加可能なので、お問い合わせを。 今年は、大学3年生の学生(写真)とぼくが司会者を務めることになる。セミナールームの200インチのスクリーンに、実際に使うプロジェクターを持ち込んでのリハ。 やはり想定したとおり、映像の再生などに問題が出た。現状、世の中全体が、ハイビジョン映像に移行する中、デジタル側には、様々なファイルフォーマット、様々な解像度の映像に、4:3、16:9の画角がある。さらに映像再生ソフトとビデオ再生ハードとの相性まであり、コネクターの種類もいろいろ。教員とスタッフで、しばし悩む(写真Click!)。 あちらを立てれば、こちらが立たずということがあり、全部の映像作品をスクリーン上で、同じ大きさで再生することは諦めることとした。まあ移行期には仕方がないね。 午後9時までリハーサルを行い、本日終了としたのだった。後は、5月6日の午後にリハがあるので、そこで確認だ。 |
April 28, 2011
昼は取締役会、夜は大学院の講義
April 27, 2011
伊藤穣一さんのMIT Media Lab所長就任に思うこと
![]() | 本日は、丸1日、御茶ノ水の東京本校で仕事する予定。 さて、昨日、ベンチャー起業家として数々のプロジェクトに携わってきた伊藤穣一さんが、MIT Media Lab所長に任命されたとの報道が出て、twitter内でも、たくさんのコメントが飛んでいた。 昨年末、伊藤穣一さん本人から、候補者としてMedia Labとやりとりが始まっているという話は聞いていた。そのとき、「僕がタフツ大学中退というのも、ちょっとひっかかるみたい」と冗談ぽく話してくれていた。 ご存知の方も多いと思うけれど、Media Labは、初代所長のNicholas Negroponte教授のスーパービジネスマン的な感性と行動力で、1985年に設立され、まさに21世紀を先取りした研究開発を最初の5年間ぐらいで、一気に見せてしまった今や伝説的な研究所。 そのときは、日本のすべての大手電気メーカーと、NTT、後のベネッセ、NHKなどが大スポンサーとなり、これが未来だという様々なアイデアがDemoとして公開されていったのだった。 その影響は、全世界の大学やICT系企業に及び、同様の研究開発がまさに主流として行われるようになり、そしてMedia Labが常に輝かしく見えるということが無くなった状況になっていったのだった。 それでも日本では、NTTの研究所出身の石井裕教授がMedia Lab副所長を長く務めていることから、ちょくちょくテレビなどで紹介されるMITの有名研究所という感じだったと思う。しかし、日本企業からのスポンサーシップは激減してしまっていた。 伊藤穣一さんは、数えれば4代目の所長。日本より海外での評価が抜群に高い伊藤穣一さんについて、アメリカのメディアでも、彼のリードによりMedia Labが再度、トップに踊り出ることが期待できると紹介されている。 おこがましいけれど、ぼくの体験と考えから言えば、Media Lab所長は、まず、人生の半分を旅客機のファーストクラスで過ごすことが苦痛ではなく、世界の様々な分野のキーパーソンと交流があり、もちろんICT分野の先端知識があり、大所高所で文化文明も論じられる人ということになる。 これって、まさに皆さんが知っている“伊藤穣一”さん、そのものだよね。だから、ぼくは、とても良いディシジョンをMedia LabのファカルティたちとMIT本部が下したと思うのだ。 伊藤穣一さんのブログに「MIT Media Labに参加するにあたって」という日本語訳した文章がアップされているので、ご興味のある方はぜひどうぞ! 午後3時半から定例のボードミーティング。午後6時に終了。 その後、3階の本部で、クリエイティブ室の近くで仕事を続ける。パンフレットなど紙モノ制作がメインの西平さん(写真)たちは、いつも午前0時近くまで仕事になるのだが、なぜかグラフィック、編集、印刷のプロたちは、昔から夜中から明け方まで仕事が及ぶ。これはもう文化ともいうべき感じ。 ということで、アートディレクションに口を出すぼくも、夜中近くにクリエイティブのスタッフたちと打ち合わせることになるわけだ(笑)。 夜11時、7階のマシンルームへ。震災の影響で4月になってから卒業式をやった受講生たちが、それぞれの作品の仕上げのために、今日も徹夜状態だった(写真Click!)。17年間、変わらないデジタルハリウッドの専門スクールの、これも文化。 残っていた受講生の多くが、5月4日に八王子のオリンパスホールで行われる開館記念コンサートで演奏される「組曲 展覧会の絵」に連動したCGアニメーションを制作した人たちだった。 オリンパスホールの芸術監督に就任された世界的指揮者の西本智実さんが、新しい試みをされたいということでデジタルハリウッドの学生たちにチャンスを与えていただいた。当日は、制作に関わった彼らも招かれているとのこと。今から楽しみだ。 |
April 26, 2011
コンテンツ強化専門調査委員会と大学院教員総会
![]() | 10時に御茶ノ水の本部に寄ってから、秋葉原のオフィスへ。 12時半、香川県の情報通信交流館e-とぴあ・かがわの方達と、将来構想についてのブレーンストーミング。 e-とぴあ・かがわは、毎年十数万人の利用者がある、なかなか人気のある施設。デジタルハリウッドは8年前の開館以来、ずっとスタッフが常駐して、ワークショップなどの県民の方々のITリテラシー向上に関してのお手伝いをさせていただいている。 午後2時過ぎにミーティングを終え、すぐに溜池山王へ向かう。午後3時から、知的財産戦略本部のコンテンツ強化専門調査会の第9回。会長の中村伊知哉先生は、本日も着物姿。Cool Japanを体現している感じだ。 今日は、震災復興関連とコンテンツ産業振興の関わりについて、いろいろ議論が出た。委員たちは、ストレートに発言する方々ばかりなので、議論はなかなか白熱する。とくに海外において、極端な報道や情報が出ていることについて、政府や省庁の対応ができていないことに多くの意見が出た。午後5時過ぎに終了。 6時前、秋葉原メインキャンパスに到着。5時から始まっていた大学院教授会に合流。 午後7時からは、大学院教員総会。専任と非常勤の先生、そして専任の先生たちが知り合う場として設けている会(写真Click!)。 再度、デジタルハリウッド大学院について、事務局が沿革をさらった後、新任の先生たちと専任になった先生たちから、それぞれ挨拶。 午後8時からは、部屋を移って交流会。じつは平行して2つほど、大学院講義も行われていた。その一つが今年度からの新任でドローイングアンドマニュアル代表の菱川勢一さん(写真)のもの。菱川さんも講義が終わったところで、交流会に合流。 教員同士の交流の中から、新たな起業やビジネスプロジェクトが立ち上がることが、珍しくないのが、本学らしいところ。今夜も新たな出会いが、新たなプロジェクトを産む予感が、たっぷりだった。 他の教室では、大学院の修了生たちによる新入生歓迎の懇親会が催されており、最後は、残っている教授たちが、そちらにも押しかけたのだった。ぼくは午後11時に離脱したのだった。 |
April 25, 2011
文部科学省へ鈴木寛副大臣を訪ねる
April 23, 2011
デジタルハリウッド大学院・春合宿
April 21, 2011
大学1年生のホームルームが始まる、夜は大学院で講義
![]() | 今日は直接、秋葉原へ。ランチは、Bengal Curryで、骨付きチキンカレー。写真をFacebookにアップした。 セカンドキャンパスでは、新1年生のホームルームが始まっていた。それぞれ教員が担任となり、280人あまりの新入生が8つのホームルームに別れる。 ホームルーム担当の教員たちは、何度もミーティングを繰り返し、スムースな大学生活が始まるように、かなり運営を考えてくれている。ちょっと、小倉以索先生のホームルームをのぞかせてもらったのだった(写真Click!)。 午後2時、YouTubeのコンテンツオペレーションのマネージャーのDavid Macdonaldさん(写真)とミーティング。今、YouTubeのブランドバリューは、日本で第7位、3100万人の日本人が毎月YouTubeを視聴しているとのこと。今日は、アメリカでの新たな取り組みや、日本におけるこれからの方針などを教えていただいた。 午後3時過ぎ、徒歩で御茶ノ水に移動。3時半から定例のボードミーティング。6時に終了して、秋葉原メインキャンパスへ移動。 午後7時から、大学院の「デジタルコミュニケーション原論」の1回目の講義。毎年のように、大阪サテライトキャンパスとテレビ会議システムでつなげて、東京、大阪、同時の講義となる。 今日は、いつもいち早く新しいトレンドが起こる音楽を題材に、音の記録からデジタル変換まで、基礎のところを話した。ということで90分、話しっぱなしだった。久しぶりにやったら、声が枯れてしまった。 10時半に秋葉原を出て、高円寺へ。帰りにLa Cocina del Cuatroに寄って、軽く夕食を食べさせてもらって、本日終了。 |
April 20, 2011
新学期らしくなってきた!
April 19, 2011
USTREAM番組「そめけん」最終回
![]() | 朝、東京本校に寄ってから秋葉原セカンドキャンパスのオフィスへ。自分のオフィスに来たのは、10日ぶりぐらいになってしまった。 午後1時から、定例の学長室会議。小倉先生と栗谷先生は、オンライン教材の収録で、ずっと忙しくしている。 オンライン教材で、表現技術を学習してもらう流れは、かなり洗練されてきたと感じている。これも全国のオンラインスクールの受講生のフィードバックのお陰だ。 午後2時から、大学院スタッフとメディアサイエンス研究所について打ち合わせ。いよいよ会議が目白押しになってきた感じだ。 午後3時からは、サードキャンパスの会議室で、今年度最初の入試委員会。昨年度の振り返りをしながら、今年度の入試について、いろいろな角度から検討を行った。 午後5時から、大学の教務スタッフと教授会に関しての打ち合わせ。その後、一度、学長室に戻り執務。 午後7時、メインキャンパスで、メディアサイエンス研究所の定例のミーティング。メディアサイエンス研究所は、大学と大学院のすべての研究室を束ねている枠組みだ。 今日は、各研究室の代表者たちが、現在のそれぞれの研究室の状況と現在の研究計画について発表し、いろいろ意見交換をした(写真Click!)。 ヒットコンテンツ研究室の吉田就彦教授は、木とともに暮らす人の協議会『木暮人倶楽部』を立ち上げられ、理事長に就任されたということ。 日本の森林、そして林業は、日本の新たな未来を構築するとき、非常に重要なものだと、ぼくも認識している。吉田先生の取組みは素晴しいと思うのだ。 午後9時からは、この1年、デジタルハリウッド大学院の名物となっていたソーシャルメディア研究室によるオリジナルのUSTREAM番組A HREF="http://someken.jimdo.com/"target="_blank">「そめけん」のラストということで、生放送を見学。 今回で、44回目、毎週、ゲストを決めて生放送を続けていくのはたいへんだっただろう。メインキャスターの二人、田中さんとやつづかさん(写真)のちょっとほのぼのとするトークを見れなくなるのは、ちょっと寂しいけれど、また5月以降に、ソーシャルメディア研究室として、新たな動きをするとのことだった。 10時半、大学院の講義が終わったところで、今年度から教員になっていただいたアートディレクターの菱川勢一さんに挨拶。菱川さんとは、90年代、ずいぶんいっしょにイベントをやらせてもらった。こういう形で、再会できたことは、とてもうれしかった。 |
April 18, 2011
JWDA WEBデザインアワードの授賞式
![]() | 2週間遅れで、大学の新入生向けのスタートアップウィークが本日から始まる。 デジタルハリウッド大学には、中国人の学生が毎年、かなりの人数入学するので、実際にどのぐらいの学生が、登校してくるか気になっていた。中国国内で報道を見ていたら、東京全滅ぐらいの勢いなので、まさに風評被害なのだが。 今日、90%以上の学生が登校とスタッフから連絡があった。来なかった数人も、連絡がついていて、1週間以内で登校してくるとのこと。まずは良かった。 ぼくは、大学へは行かず、御茶ノ水の東京本校へ。しばらく仕事をして、午後2時、根津にあるCAMVASへ。 今日は、ここで総務省「みんなでつくる情報通信白書コンテスト」の審査があるのだ。 3時間ほど、石戸菜々子さんたちと、楽しくエッセーやイラストの審査をやらせてもらったのだった。その後、御茶ノ水に戻り、本部のデスクで仕事。 午後6時半、8階の会議室で、JWDA中川会長たちと、今夜のJWDA WEBデザインアワードの授賞式の打ち合わせ。 午後7時、東京本校1階セミナールームで、表彰式が始まる。まず、中川会長の熱い想いが感じられる挨拶からスタートとなった(写真)。 審査員たちから、各賞の表彰(写真Click!)があり、その後、中川会長がモデレーターとなって、審査員がパネルとなってのトークイベント。 いつもながら、PAOSグループ代表・中西元男さん、 ジャパンライフデザインシステムズ代表・谷口正和さん、オールアバウトCEO・江幡哲也さんのコメントは、本当に鋭い! ぼくも、いっしょにステージに上がっているわけだけど、ひたすら勉強になるという状態だった。 午後9時、受賞イベントが終わり、そのまま2階のラウンジで、懇親パーティ。WEBで仕事をされている様々なプロたちと交流。皆、今回の大震災を乗り越えた先にあるべきことを話していた。素晴らしいことだね。 午後10時半、ぼくが中締めをして、解散となったのだった。 |