April 27, 2011
伊藤穣一さんのMIT Media Lab所長就任に思うこと
![]() | 本日は、丸1日、御茶ノ水の東京本校で仕事する予定。 さて、昨日、ベンチャー起業家として数々のプロジェクトに携わってきた伊藤穣一さんが、MIT Media Lab所長に任命されたとの報道が出て、twitter内でも、たくさんのコメントが飛んでいた。 昨年末、伊藤穣一さん本人から、候補者としてMedia Labとやりとりが始まっているという話は聞いていた。そのとき、「僕がタフツ大学中退というのも、ちょっとひっかかるみたい」と冗談ぽく話してくれていた。 ご存知の方も多いと思うけれど、Media Labは、初代所長のNicholas Negroponte教授のスーパービジネスマン的な感性と行動力で、1985年に設立され、まさに21世紀を先取りした研究開発を最初の5年間ぐらいで、一気に見せてしまった今や伝説的な研究所。 そのときは、日本のすべての大手電気メーカーと、NTT、後のベネッセ、NHKなどが大スポンサーとなり、これが未来だという様々なアイデアがDemoとして公開されていったのだった。 その影響は、全世界の大学やICT系企業に及び、同様の研究開発がまさに主流として行われるようになり、そしてMedia Labが常に輝かしく見えるということが無くなった状況になっていったのだった。 それでも日本では、NTTの研究所出身の石井裕教授がMedia Lab副所長を長く務めていることから、ちょくちょくテレビなどで紹介されるMITの有名研究所という感じだったと思う。しかし、日本企業からのスポンサーシップは激減してしまっていた。 伊藤穣一さんは、数えれば4代目の所長。日本より海外での評価が抜群に高い伊藤穣一さんについて、アメリカのメディアでも、彼のリードによりMedia Labが再度、トップに踊り出ることが期待できると紹介されている。 おこがましいけれど、ぼくの体験と考えから言えば、Media Lab所長は、まず、人生の半分を旅客機のファーストクラスで過ごすことが苦痛ではなく、世界の様々な分野のキーパーソンと交流があり、もちろんICT分野の先端知識があり、大所高所で文化文明も論じられる人ということになる。 これって、まさに皆さんが知っている“伊藤穣一”さん、そのものだよね。だから、ぼくは、とても良いディシジョンをMedia LabのファカルティたちとMIT本部が下したと思うのだ。 伊藤穣一さんのブログに「MIT Media Labに参加するにあたって」という日本語訳した文章がアップされているので、ご興味のある方はぜひどうぞ! 午後3時半から定例のボードミーティング。午後6時に終了。 その後、3階の本部で、クリエイティブ室の近くで仕事を続ける。パンフレットなど紙モノ制作がメインの西平さん(写真)たちは、いつも午前0時近くまで仕事になるのだが、なぜかグラフィック、編集、印刷のプロたちは、昔から夜中から明け方まで仕事が及ぶ。これはもう文化ともいうべき感じ。 ということで、アートディレクションに口を出すぼくも、夜中近くにクリエイティブのスタッフたちと打ち合わせることになるわけだ(笑)。 夜11時、7階のマシンルームへ。震災の影響で4月になってから卒業式をやった受講生たちが、それぞれの作品の仕上げのために、今日も徹夜状態だった(写真Click!)。17年間、変わらないデジタルハリウッドの専門スクールの、これも文化。 残っていた受講生の多くが、5月4日に八王子のオリンパスホールで行われる開館記念コンサートで演奏される「組曲 展覧会の絵」に連動したCGアニメーションを制作した人たちだった。 オリンパスホールの芸術監督に就任された世界的指揮者の西本智実さんが、新しい試みをされたいということでデジタルハリウッドの学生たちにチャンスを与えていただいた。当日は、制作に関わった彼らも招かれているとのこと。今から楽しみだ。 |
Posted by
mojosgy
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23:30
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