プロフィール
プロフィール
杉山知之
デジタルハリウッド 学長
デジタルハリウッド大学 学長
デジタルハリウッド大学院 学長
工学博士
1954年東京都生まれ。
1979年、日本大学大学院理工学研究科修了後、日本大学理工学部助手。87年より、MITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。90年、国際メディア研究財団・主任研究員、93年、日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月、デジタルハリウッド設立。以来、クリエイターの育成、インターネットビジネスの発展に力を注いでいる。
 デジハリ創立10周年となる2004年、開校当初からの念願であった、デジタルコンテンツ専門の「デジタルハリウッド大学院」を開学。同年11月、IT×英語&留学×クリエイティブを学ぶ「デジタルハリウッド大学」が文部科学省認可。学長に就任。2005年4月開学。2008年10月、「コンテンツ学会」副会長に就任。
【委員】
デジタルラジオ推進協会・番組審議会委員 その他、CG-ARTS協会、デジタルコンテンツ協会などの委員を歴任。
NPO法人 エコロジー・カフェ理事、NPO法人 VIPO(映像産業振興機構)理事。
福岡コンテンツ産業拠点推進会議、マルチメディア放送ビジネスフォーラム、メタバース協会の会長、コンテンツ学会の副会長を務める。
また、毎年、多くのデジタルコンテンツのコンテストの審査員を務めている。
【著書】
「デジタル書斎の知的活用術」(岩波アクティブ新書)
「ポストITは日本が勝つ!」(アスキー出版)
「デジタル・ストリーム・未来のリ・デザイニング」(NTT出版)
「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)
「クリエイター・スピリットとは何か?」(ちくまプリマー新書)
What's DIGITFUL WORLD
DIGITFUL WORLDとは
DIGITFUL WORLD
音楽がCDになった1982年、人はすべての表現がデジタル化することを進歩とした。 1983年、ファミコンは、コンピュータゲームの飛躍的発展を約束した。 本をCD-ROMしようとしたとき、世界にたくさんのデジタルツールが出現した。 CGは、ビジュアル表現に革命を起こし、映画をアニメを変化させた。 1994年PlayStationは、すべてのゲームを3Dへと導いた。 1995年、インターネットは突如、人々の生活空間とリンクした。
PCのスピードと容量の飛躍的な増大は、写真も映画もあらゆる映像をデジタルで扱うことを当たり前にした。20世紀のメディアの覇者テレビは、それでも最期までアナログだった。しかし2011年、アナログ電波は停止する。人の持つ主要メディアがデジタルになった。これがゴールだったのだろうか?
21世紀、ぼくたちは街で生活をする。デジタル情報はぼくの目には見えない。飛び交うケータイのデジタル情報、GPS信号、商品につけられた電子タグ、街はデジタルで溢れている。その中をぼくは歩く。無数の監視カメラがぼくを捉え、デジタル映像として、ハードディスクに書き込んでいく。一度システムがスタートしてしまえば、人が関わらずともデジタル化は進む。
主要なメディアがデジタルとなり、人の動きもモノの動きもデジタル化できた。しかし、みんなバラバラで、繋がっていない。デジタル化することがゴールじゃない! デジタル化されたからこそ、すべてを有機的にリンクすることが始められるのだ!デジタルコミュニケーションが爆発する世界が見えている。
そう、この世界を、ぼくは、「DIGITFUL WORLD」と呼びたい!今、やっとスタート地点に近づいている。デジタルが本当に人類に役に立つのは、これからなのだ。
DIGITFUL WORLDは、
knowledgeful, useful, wonderful, beautiful, powerful,
そしてsoulful!
知恵を出すときだ!
より良い人類として地球に存在するために!
DIGITAL HOLLYWOOD
デジタルハリウッド
デジタルハリウッド
日本初の産学協同クリエイター養成スクール。つねに最新の産業界のニーズをキャッチし、カリキュラムに反映。現在、卒業生は4万人以上。ゲーム、映画、CG映像、WEBデザイン、ネットビジネスなど様々なコンテンツ産業で働くデジタルクリエイターを数多く輩出しています。
デジタルハリウッド
デジタルハリウッド大学
IT×英語&留学×クリエイティブを徹底習得。Web、TV、ゲーム、アニメ、映画、出版、音楽、ラジオの業界で国際的に活躍する人材育成を目指す4年制大学。2005年4月開学。
デジタルハリウッド大学
デジタルハリウッド大学院
業界が生み出す日本唯一のデジタルコンテンツの最高学府となる専門職大学院として、2004年4月に開学。ITとコンテンツの融合が進む、ブロードバンド・ユビキタス社会において、グローバルなフィールドで真価を発揮できる人材育成を主眼としています。
デジタルハリウッド大学院
デジハリ・オンラインスクール(通信講座)
「デジハリ・オンラインスクール」は、グラフィック・DTP・Webデザインを学習いただけるeラーニング/通信講座をご提供しています。スクールに通うことなくインターネットを通じて、教室の授業を自宅で受講!好きな場所から臨場感たっぷりの授業をリアルタイムに受講することができます。
オンラインスクール(通信講座)

November 26, 2010

長い1日、ブログ記事も長くなった!

Click!
朝9時半、日本橋のソフトブレーン社へ。今日は、ソフトブレーン社ファンダーの宋文洲さんと11月30日の「近未来教育フォーラム」の講演の打ち合わせ。

宋さんは、昨日、上海から戻ったばかりとのこと。ITベンチャーとしてソフトブレーングループを育て、今は中国に居を構え、中国でのビジネスに力を入れていらっしゃるのだ。

しばらくぶりだったので、最初は、2000年前後に活躍していたベンチャー起業家の消息などについて話をした。表舞台から消えたベンチャー起業家たちについて、とても残念に思っていらっしゃるようだった。

その後は、宋さんに登壇していただく「デジタルコミュニケーション時代の人材育成」について、キーワードをいただいたのであった。当日は、そのキーワードを利用して議論をさせていただくつもりだ。

10時半に秋葉原のオフィスへ。秘書といっしょに、溜まっていた書類の整理をした。

午後1時、メインキャンパスの会議室で、特許庁審査業務部生活用品・上席総括審査官の小林裕和さんと、特許庁審査業務部意匠課・意匠審査企画官の宮田荘平さん、同課・課長補佐の石坂陽子さんとミーティング。

特許庁でも、セカンドライフのようなメタバースでの知財について関心を寄せているということで、ヒアリングにいらした。来年には、勉強会をやりましょうということになった。

小林さんとは、20年前、ぼくがメディアラボから戻ってきたときからの知人。その頃から、とても勉強家で、仕事が終わってから、メディアラボを修了して、日本にやってきた若手の研究員と、いろいろと勉強をされていた。ちょっと懐かしかった。

今日は、いろいろ忙しい。午後2時半、御茶ノ水の東京本校に滑りこんで、定例の取締役会。第17期決算承認などを行った。

午後3時半からは、デジタルハリウッドのブランドステイトメントについてのミーティング。なかなか良いものが出来てきたのであった。

午後4時半に、セカンドキャンパスのオフィスに戻る。5時に、集英社の男性誌『UOMO』の連載「可士和談義」からの取材。カメラマンやライターの方々が、忙しく準備。

そこに、佐藤可士和さんがやってきた。今や「ユニクロ」の海外拠点をすべて手がけるなど、世界的にも注目されているアートディレクター。大学生たちから、将来、可士和さんのような仕事がしてみたいという声を良く聞く、憧れの存在でもあるね。

可士和さんとは、デジタルハリウッドエンタテインメント社が手がけたKITTY30周年の森美術館での展覧会からのお付き合いだ。ずっとどこか少年のような雰囲気が残っていて年齢不詳のクールな感じは、ぜんぜん変わっていらっしゃらない。

11月2日の「COOL JAPAN TOKYO-CONFERENCE」で、いっしょにセッション1で登壇したので、そのことで、僕を指名してくれたのだろう。

記事の載る号は、12月24日発売とのこと。楽しみだ。最後に、可士和さんは、ぼくの椅子に座って、レスポールを手にして、「オフィスにギターがあるってイイよね」と(写真)。確か、可士和さんのあの整然としたオフィスにも、フェンダーのアンプとギターが置いてあったことを思い出したのであった。

6時半からは、パソコンのテレビ会議システムで、羽根拓也教授とミーティング。11月30日の「近未来教育フォーラム」のセッションでのパワポの確認を行ったのであった。

午後7時からは、セカンドキャンパス7階で、大学のカリキュラム検討委員会。この委員会には、とにかく教育熱心な先生たちが集まっているので、常に議論は百出状態。

しかし、ぼくが助かるのが、みなさん実務家なので、理想の形を論じながらも、実際にどこまで出来るかという検討もしていただけることだ。次の1年生たちから、さらにきめ細かいカリキュラム編成となりそうだ。

9時半に終了して、オフィスに戻る。いろいろなことをやった長い1日だった。

さて、スギヤマスタイルでの人物写真が、これまでと違うという指摘を、何人もの方からいただいた。確かに、11月6日のショーン・Kさんの写真から、人物写真は、もう3代目となったGRDでは無く、SONY α900とCarl Zeiss・Planar f1.4 85mmに組み合わせで撮っている。

Planar 85mmは、アナログカメラ時代から、ポートレート用として、プロ、アマを問わず、愛好者が多いレンズだった。

ぼくは、父親の影響もあって、中学や高校の頃は、父のPENTAXの一眼レフを使っていた。次にカメラに目覚めたのは、25歳。助手になってからだ。同僚の先生に、とてもカメラに詳しい方がいて、Nikonの入門機といくつかのレンズを使って、リバーサルで写真を撮っていた。コダクロームとエクタクローム。今でも、たくさんのスライドが残っている。

そして、いよいよ、もう少し上をと思ったとき、Planar 85mmは、使ってみたい憧れのレンズになっていた。その頃、今は亡きCONTAXの高級一眼レフ用のものがあったのだが、僕には高くて手が出ないうちに、カメラは急速にフィルムからデジタルへ移行してしまったのだ。

そう、ずっと使いたかったレンズだったのだ。そして時は経ち、数々のカメラメーカー再編の中、ミノルタのαシリーズが、SONYブランドで蘇り、そのフラッグシップとして35mmフィルム相当のセンサーを持つα900が発売され、そこに一連のCarl Zeissレンズが用意されたのだった。

しかし、α900は、ぼくごときの腕前で使うにはもったいないと思って、発売以来、ずっと静観してきていたのだった。

そして2008年の発売から2年が経ち、ついにボディの実売価格が20万円前後にまで落ちてきた。ということで、重量のある一眼レフを持ち歩けると思えるうちに、使おうと意を決したのであった。本当に久しぶりの一眼レフだ。

ということで、縦位置での人物写真のほとんどが、これから、α900+Planar85mm(写真Click!)となるはずのなので、皆様、よろしく!


この記事へのトラックバックURL