November 05, 2010
新カリキュラムの講師・TAへの説明会
![]() | 午前中、マンションに「光フレッツ」が来たということで、その工事。しかし、マンション内の配管と、現在電話線が出ているコンセントが、うまく繋がらず,結局、リスケジュールとなってしまった。 これまで、一番最初に高円寺近辺に来たUSENの光と契約していたのだが、マンション内は銅線の配線となることも原因のひとつなのだろうが、スピードが落ちていたのだ。もちろんエラー発生も多くなり、大きなファイルのダウンロードなど、途中で止まることも多くなっていたのだ。 光フレッツは、部屋まで光ケーブルのまま配線されるとのことで乗り換えることにした。ちょっと前までは、曲げに弱かったためマンション内の既存の配管では敷設が不可能だったのだが、今は材料が改良され、わりと自由に通すことができるようになったわけだ。 ということで、開通せずのまま、秋葉原のオフィスへ。午後1時半、日本WEBデザイナーズ協会(JWDA)のコンテストについて、JWDAの小林さんと米田さんと今年の改善について、いろいろアイデアを出し合った。今年は、さらに良いコンテストになりそうだ。 午後2時半からは、FM東京の増山さん、高浪さんらと「マルチメディアコンテンツアワード」の応募作品の内容確認と、プリ審査を開始。 企画書は、パワーポイントのプレゼンで何ページにも及ぶ大作から、一枚のものまで、いろいろ。じっくり内容を読ませていただいた。 映像部門は、家庭にあるマルチメディア放送の受信端末のひとつとなるフォトフレームに流れるという想定でのもの。事務局としても、まだ無いものが、どのように家庭で使われるのか想像しながらのプリ審査となった。そう考えると、通常の映像コンテストとは異なる視点が出てきた。 月曜日の本審査に向けて、順調に事は進み、午後6時半に終了することができたのだった。 午後7時、御茶ノ水の東京本校のセミナールームへ滑り込む。今日は、専門スクールの『新カリキュラム 講師・TA向け説明会』なのだ。 2011年4月から、15年ほどマイナーチェンジの積み重ねでやってきた専門スクールの教育カリキュラムを大幅に変更することにしたのだ。そのために講師とTAの方々に、何故、そのような改変が必要となったかを説明する会ということで集まっていただいたのだ(写真Click!)。 最初にぼくから経緯について説明。ぼくとしては、変革というより、建学の精神に則ってカリキュラムを見直したら、今回のようになるのが自然という感覚。 デジタルハリウッド設立は1994年10月。そのときは、デジタルクリエーターなる職業は無かったも同然だった。 それから16年、ICTの信じられないほどの技術革新と、デジタル表現ツールの急速な進歩により、プロフェッショナルたちの表現能力は、まさに飛躍的に高まっていったのである。 本物のプロの端くれになるために、身につけるべきことは、15年前とは比べ物にならないものになったわけだ。 それに対応していくためには、2年制というコースをメインに置くことにしたのだ。20歳以上という受験資格で、大学生のダブルスクールも可能とした。美術系大学の方々には、すでに十分にデザイン基礎を研鑽されているという解釈で1年コースも用意した。 ツールの使い方は、オンデマンドなど個人の進捗に合わせた学習を可能として、より本質的に表現を深めていこうというコンセプト。これは、講師の方々も、その方向に行きたかったというカリキュラムなのである。 このカリキュラムのコンセプト作りの中心となったのが、デジタルハリウッド大学院の立ち上げも行った齋藤知也ジェネラルマネージャー(写真)。ぼくとはツーカーというベテランスタッフ、ということで大学院での経験が生きたカリキュラム構成となったのだ。 すでに新カリキュラムの「デジタルハリウッドスクールサイト」もオープンしている。新しい「本科」のカラーはシアン。美しいブルー色に、僕たちの思いを託したのだ。 説明会が終わり、そのままセミナールームで講師とTAの皆さんと懇親会。照明が付いて、つくづく皆さんの顔みると、改めて卒業生たちが多いことに気がつく。多くの先生たちは40代になって、それぞれ業界のリーダー格として仕事しながら、母校で教えてくれているのだ。 スクール業界に詳しい児玉マネージャーによれば、こういう学校は多く無いとのこと。デジタルハリウッドに思い入れを持って教えてくれるということが、大きな財産というわけだ。まさに卒業生と共に創ってきたのが、デジタルハリウッドというわけだね。 午後10時過ぎ、懇親会が解散となり、ぼくも本日終了。 |
Posted by
mojosgy
at
23:30
│
TrackBack(
0
)