October 18, 2007
母校、海城学園を訪問
![]() | 朝10時半、大学広報の井出さんと新大久保駅に待ち合わせ。 午前11時、海城学園へ。実は、ぼくは海城高等学校の出身。ぼくの頃とは違って、難関校の一つだし、受験も凄く強くなっている。 今年、デジタルハリウッド大学に海城の出身者がいたので、ぼくは、ぜひ訪ねてみたいという気になったのだ。卒業以来、35年ぶりに校門をくぐった。 海城学園では、古賀喜博理事長、茂木雅之教頭、中田大成教諭が、待っていてくれた。茂木教頭とぼくは、1年違いということで、その頃の先生方の話で盛り上がる。 中田教諭は、「情報」の科目について、海城学園らしく育てていきたいとのこと。びっくりしたことに、ぼくの著作をいろいろ読んでいらした。 海城学園は、今、工事中。ぼくが1年生のときに使っていた校舎が壊され、新校舎建設になるというところだった(写真Click!)。今日の訪問が切欠で、母校で講演をさせていただくことになりそうだ。有り難いことだ。 午後3時、加賀電子の萱島一弘さん(写真)が、お仲間と校長室を訪ねていらした。萱島さんは、松下電器の社内ベンチャーだったピンチェンジ社の代表をされていた方。 もともと、大メーカーでは、考えられないような斬新なアイデアを製品化してきたのが萱島さん。今日は、デジタルハリウッドの学生たちと共同でできそうな面白い案件を持ってきてくれた。 会社や組織や立場も超えて、常に新しいものを産み出すことにトライする姿には、尊敬してしまう。これは、ぼくの師の一人である佐々木正博士が提唱する「共創」ということだと思うのである。 午後4時、某有名プロデューサーと、内容が口外できないミーティング(笑)。悪い相談ではなく、権利がらみの話だから当然だ。 午後5時、古くからの仲間の吉岡賢さんが訪ねてきてくれた。吉岡さんが代表を務めるゲーム制作会社TABOTがクリエーターを募集とのこと。ぼくのほうからも、インターンの受け入れなど、いろいろお願いしたのだった。 今日は、朝から池袋校で、全国から専門スクールのスタッフたちが集まって、下半期に向けてのロングミーティングをやっている。その打ち上げがあるというので、午後8時、池袋の居酒屋へ。 結局、一次会だけでは、話したらず、二次会も参加。午前1時に解散。タクシーで高円寺に戻ったのだった。 |
Posted by
mojosgy
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23:59
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この記事へのコメント
突然のメールにて失礼申しあげます。
小職はあるセミナーで井手町の新産業創出の取組をされていた萱島一弘さん
とご一緒させて頂いた事があり、 ぜひ一度お話を また出来る事ならご指導を戴きたいものと思っておりましたが、東京の練馬にお住まいを移されてから今まで機会を得ることが出来ずじまいでしたが、最近井手町にある玉の井にお戻りとの事で,お尋ねいたしました。が、お戻りになられていないのか、ご不在のご様子。何か近状をご存知ならばお教え戴ければ幸甚です。宜しくお願い申しあげます
小職はあるセミナーで井手町の新産業創出の取組をされていた萱島一弘さん
とご一緒させて頂いた事があり、 ぜひ一度お話を また出来る事ならご指導を戴きたいものと思っておりましたが、東京の練馬にお住まいを移されてから今まで機会を得ることが出来ずじまいでしたが、最近井手町にある玉の井にお戻りとの事で,お尋ねいたしました。が、お戻りになられていないのか、ご不在のご様子。何か近状をご存知ならばお教え戴ければ幸甚です。宜しくお願い申しあげます
Posted by
伊南 隆
at
May 22, 2009 15:57