January 08, 2007
学研の真空管ラジオを組み立てた
今日は、午前中から、年末にあるラジオ局から記念品としていただいた学研の「大人の科学真空管ラジオ」を組み立てることにした。 レトロな外観になるのだが、基本プラスティックの部品をタップネジで組み付けていけば出来上がる。一番、時間がかかった部分は、緑色のリッツ線を枠にぐるぐると取り付けていくところだった。 最後に配線を繋げていくのだが、ここでも半田を使わないで、ただ巻きつけるだけ。組み立てやすいようなノウハウがいろいろと見られて、さすが、ぼくたちが小さい頃、付録でお世話になった学研の製品だ。出来上がると、なかなかの風貌(写真)だ。 さてラジオのバリコン部分は、金属板2枚が開閉するだけのもの。そのブック型と呼ばれるバリコンは、本体の右に付いている(写真Click!)。この距離をノブで調整しながら同調させるのだ。 また、3本の真空管は、なんと30年ぐらい前の中国軍用のものとのこと。これのストックを中国で見つけ、取り寄せたのだそうだ。 再生検波式という回路なので、同調するときに、ピーヒャラララみたいな、ほんとに戦前のラジオみたいな音がする。こんな音が21世紀に実際に聴けるとは思わなかった。 006P電池(9V)を5つと単2電池を1つ使うので、電池代はちょっとかかるけど、その分、野外でも使える。実際、家の中より、開けたところのほうが、受信状態も良い。 ということで、ちょっと科学少年に戻ったような時間を過ごした。昨今、小中学生の科学離れが顕著になっているけれど、ぼくたちの時代に学研が果たした役割って大きかったんだなと、実感したのであった。 夜、テレ朝新春番組「芸能人雑学王決定戦」に、ぼくが回答者として数秒出ていた。問題は、「デジタルの語源」。語源なので、ぼくが答える問題なのかとも思ったけれど、年末に収録したものだった。 |
Posted by
mojosgy
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22:30
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この記事へのコメント
「大人の科学製品版 真空管ラジオバージョン2」を組み立てていただいていたのですね。
ありがとうございます。
中国製の真空管は、バージョン1が売れたため、現金をつめたトランクを仲介者にたくして買い付けしないと売ってくれませんでした。
それから、「はたした役割」、この言葉をもっともっと考えて行きます。
ありがとうございます。
中国製の真空管は、バージョン1が売れたため、現金をつめたトランクを仲介者にたくして買い付けしないと売ってくれませんでした。
それから、「はたした役割」、この言葉をもっともっと考えて行きます。
Posted by
こんどう
at
January 11, 2007 12:03
杉山さんも「科学」で育った世代なんですね。とても嬉しいです。
実は私の父が、創業期の学研におりまして、「科学」の編集をやっておりました。
付録作りの苦労話は、当時の同僚だった方々から、いろいろと伺いました(本人はなかなか話してくれませんが)。球根の付録を企画したら、「1年前に注文しないと生産できない」と言われたとか、ようやく確保したが、子供に届く前に芽が出てしまったとか。
そもそもプラスチックの成型品は、当時主流の鉄道貨物では運べず(火災の危険があるため)、ロジスティックも含めて編集部が考えたという、ちょっと面白い話がたくさんありそうです。
80を越えた親父は元気で、いまでも編集者(町内の老人会報を一太郎で作っています)です。
実は私の父が、創業期の学研におりまして、「科学」の編集をやっておりました。
付録作りの苦労話は、当時の同僚だった方々から、いろいろと伺いました(本人はなかなか話してくれませんが)。球根の付録を企画したら、「1年前に注文しないと生産できない」と言われたとか、ようやく確保したが、子供に届く前に芽が出てしまったとか。
そもそもプラスチックの成型品は、当時主流の鉄道貨物では運べず(火災の危険があるため)、ロジスティックも含めて編集部が考えたという、ちょっと面白い話がたくさんありそうです。
80を越えた親父は元気で、いまでも編集者(町内の老人会報を一太郎で作っています)です。
Posted by
デジコンサロンの中川です
at
January 11, 2007 12:05
杉山さんも「科学」で育った世代なんですね。とても嬉しいです。
実は私の父が、創業期の学研におりまして、「科学」の編集をやっておりました。
付録作りの苦労話は、当時の同僚だった方々から、いろいろと伺いました(本人はなかなか話してくれませんが)。球根の付録を企画したら、「1年前に注文しないと生産できない」と言われたとか、ようやく確保したが、子供に届く前に芽が出てしまったとか。
そもそもプラスチックの成型品は、当時主流の鉄道貨物では運べず(火災の危険があるため)、ロジスティックも含めて編集部が考えたという、ちょっと面白い話がたくさんありそうです。
80を越えた親父は元気で、いまでも編集者(町内の老人会報を一太郎で作っています)です。
実は私の父が、創業期の学研におりまして、「科学」の編集をやっておりました。
付録作りの苦労話は、当時の同僚だった方々から、いろいろと伺いました(本人はなかなか話してくれませんが)。球根の付録を企画したら、「1年前に注文しないと生産できない」と言われたとか、ようやく確保したが、子供に届く前に芽が出てしまったとか。
そもそもプラスチックの成型品は、当時主流の鉄道貨物では運べず(火災の危険があるため)、ロジスティックも含めて編集部が考えたという、ちょっと面白い話がたくさんありそうです。
80を越えた親父は元気で、いまでも編集者(町内の老人会報を一太郎で作っています)です。
Posted by
デジコンサロンの中川です
at
January 11, 2007 12:11