July 07, 2006
大学で、青色LEDの中村修二先生が講演!
![]() | 午後、ディスカバリーチャンネルからの取材。来春放送予定のある特集に関して、日本各地で取材を進めているとのこと。1時間番組5本となる特集ということで、大きなプロジェクトだ。 取材クルーが、8階のセミナールームに、ブルーバックをセットしての撮影。質問が、日本語で答えるのも難儀な内容だったので、英語の質問を聴いて、日本語で答えさせてもらったのだった(笑)。午後3時半に終了。記念撮影をした(写真Click!)。 午後4時、外務省の平松さんたちと、学生の関谷くんと赤澤くんが、パワポ作成の件で、ミーティング。官僚の方々と堂々とミーティングをしていて、ちょっと安心した。 午後5時、1993年の青色LEDの発明で、一躍、世界の注目を浴び、その後、自分が勤めていた企業との訴訟でも、世論が動いた、現カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二先生を招いての講演会。 デジタルハリウッド大学の教室に200名ほどの人が集まったのだが、学生たちだけでなく、おじさん世代の社会人も多く参加していた。 80年代から、多くの大企業が莫大な研究開発費を投じて、発明しようとしていた青色LEDを、なぜ、研究開発費が極端に少なく、会社からの賛同も得ていなかった中村先生が、それを成し遂げることができたか、というリアルストーリーを聞かせてくれた。 また、裁判を通じて、中村先生が思い知らされたという日本の司法の在り方についても、意見を述べられた。そこには、これまでマスコミでは紹介されていない数々のエピソードがあった。そのことについては、先生は、ぜひ「ごめん!」を読んでくれと、おっしゃっていた。 午後6時半、講演が終了。その後、午後7時から、UDXビルの居酒屋で、中村先生と、そのご友人たちと、藤本さんとぼくで、懇親会。 そこで、語られる中村先生の姿は、自らが実験機材を開発し、成功するまで実験を休まず重ねていくという粘り強いエンジニア系の研究者の姿だった。 ぼくも、自分が、実験装置から作って、音の実験を行っていた頃のことを思い出した。同じ年齢ということで、心が通じる部分があるような気がした夜だった。 |
Posted by
mojosgy
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23:59
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