January 18, 2006
水曜日はミーティング日。夜、大学で松本零士先生の講義
![]() | まだ、風邪が抜けない。ちょっと咳が出ている。 午前中、東京校で、普通に仕事。12時に、秋葉原の大学で、運営会議。会議後に、教室を見てまわる。そろそろ、後期授業が終わりだ。英語では、ネイティブ講師と1対1での英会話試験が始まっていた(写真Click!)。 午後3時からは、神戸情報大学院大学情報技術研究科享受の田村武志先生と、先端教育情報研究所の方々とミーティング。 田村先生は、KDDIで遠隔教育に関して研究を続けていた研究者。今日は、オーストラリア大学USQでの本格的なオンライン大学のスタッフ編成などについて教えていただいた。 午後4時すぎ、管理戦略会議。 午後5時からは、コミックスウェーブの方々と、今後の取り組みについてミーティング。 午後6時からは、毎週のプロデューサー会議に、ちょっと遅れて出席。年度末までのたくさんの案件、年度初めのたくさんの準備と、案件はつきないという感じだ。 午後7時半からは、長内院生とプロジェクトに関して打ち合わせ。 その打ち合わせが終わって、すぐに大学へ。今晩は、松本零士先生(写真)が、特別講義をしてくれた。 松本零士先生の講義は、淡々とした調子で、表現者としての心構えを、先生の長い創作活動の中でのエピソードを交えて語られた。そのエピソードは、まさに驚愕するような内容。学生のみならず、ぼくも引き込まれて聞き入ってしまった。 先生は、世界中を訪問されているが、自分の作品が、アマゾンの源流の町や、南海の島など、津々浦々で見られたことを紹介され、自分の作品を含めて、日本の漫画家たちの作品が、ほんとうに世界中に愛されていると述べられた。 そして、最近、ネットで公開されている作品が、日本語のときは、10万程度のアクセスだったのが、英語版を出したとたん120万アクセスを記録したことがあったと紹介され、これまでは、日本の1億3千万人に対して作品を創ってきたが、これからは、全世界63億人という広い世界に向けて直接作品が出せるとおっしゃり、その後、「ぼくはこの世界に間に合った」と述べられた。 先生の作品は、じつはすべての作品に時系列と主人公らの血縁関係が設定されているとのことで、その全貌は、まだ描ききっていないのだそうだ。さらに最近は、ハリウッドなどの海外からの仕事のオファーも多いそうで、これからさらに国際的な仕事をされたいとのことだった。 また表現者は、自分の表現したい世界や主張を曲げる必要はまったく無いが、世界中の人々が見ることを考慮し、相手を傷つけるような表現を避けることは、最低限守るべきでという言葉だった。 トレードマークの海賊のドクロは、海賊の「例え骨になっても戦う」という意味だそうで、漫画家としては、「例え骨になってもペンを動かす」という決意の表れとのこと。 印象に残ったのは、先生の言葉遣いが、ぼくの世代でも使っていない、とても由緒を感じる奇麗な日本語だったことだ。講義が、たいへん勇気付けられたと感動している学生たちを見て、先生の表現者としての在り方が、伝わったんだと、ぼくもたいへん感動したのだった。 |
Posted by
mojosgy
at
23:45
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この記事へのコメント
松本先生の「戦場まんがシリーズ」に強い影響を受けておられる現在一線級の制作者方は非常に多く、先生の作品がアニメーション化される表現的必然の壁を突破される魂を、我々ディジタルコンテンツの世代も継承し、後世に伝えたいですね。
Posted by
鷺義勝
at
January 20, 2006 00:25